帆巻き唄(山車練り唄)

山車の曳き立てや、行列が停滞して止まった時には、この唄を唄いながら曳き綱を左右に振り動かし、身体をぶつけ合って山車を練ります。

ドットコー ドートコリャ  若いしゃー 頼みじゃーイエー

ヨーホーラエー 一で始まりゃ ヤーハーエー
アーヤットコセー ヨーイヤナー
エーエー 始まる一の宮  ヨーホーエーコーラー
ソリャナンデモ ハリャードッコイ ヨーエトコ ヨーエトーコセー

ヨーホーラエー 二では日光の ヤーハーエー
アーヤットコセー ヨーイヤナー
エーエー 日光の東照宮じゃ ヨーホーエーコーラー
ソリャナンデモ ハリャードッコイ ヨーエトコ ヨーエトーコセー

ヨーホーラエー 三には讃岐の ヤーハーエー
アーヤットコセー ヨーイヤナー
エーエー 讃岐の金毘羅様じゃ ヨーホーエーコーラー
ソリャナンデモ ハリャードッコイ ヨーエトコ ヨーエトーコセー

ヨーホーラエー 四では信濃の ヤーハーエー
アーヤットコセー ヨーイヤナー
エーエー 信濃の善光寺 ヨーホーエーコーラー
ソリャナンデモ ハリャードッコイ ヨーエトコ ヨーエトーコセー

ヨーホーラエー 五つにゃ出雲の ヤーハーエー
アーヤットコセー ヨーイヤナー
エーエー 出雲の大社 ヨーホーエーコーラー
ソリャナンデモ ハリャードッコイ ヨーエトコ ヨーエトーコセー

ヨーホーラエー 六つにゃ室積 ヤーハーエー
アーヤットコセー ヨーイヤナー
エーエー 室積お普賢様じゃ ヨーホーエーコーラー
ソリャナンデモ ハリャードッコイ ヨーエトコ ヨーエトーコセー

ヨーホーラエー 七つは奈良の ヤーハーエー
アーヤットコセー ヨーイヤナー
エーエー 奈良の大仏様じゃ ヨーホーエーコーラー
ソリャナンデモ ハリャードッコイ ヨーエトコ ヨーエトーコセー

ヨーホーラエー 八つは八幡の ヤーハーエー
アーヤットコセー ヨーイヤナー
エーエー 八幡の八幡様じゃ ヨーホーエーコーラー
ソリャナンデモ ハリャードッコイ ヨーエトコ ヨーエトーコセー

ヨーホーラエー 九つ高野の ヤーハーエー
アーヤットコセー ヨーイヤナー
エーエー 高野の弘法大師 ヨーホーエーコーラー
ソリャナンデモ ハリャードッコイ ヨーエトコ ヨーエトーコセー

ヨーホーラエー 十には所の ヤーハーエー
アーヤットコセー ヨーイヤナー
エーエー 所の氏神様じゃ ヨーホーエーコーラー
ソリャナンデモ ハリャードッコイ ヨーエトコ ヨーエトーコセー

※青字は付け声

この唄は、今から200年余り昔の江戸時代に、北海道の松前から、西回りで瀬戸内へやって来た、北国廻船(ほっこくかいせん)北前船(きたまえぶね)の帆巻き唄がそのもと唄といわれています。

舟唄の中でも特に八百石、千石といわれた大型帆船の集団仕事唄として唄われていたものなのです。

江戸時代の終わりごろから、山車の曳き回しに地元の若衆が唄い始め、それが今も伝承されているのです。

豪快なメロディーには聞く人の心を強く捕らえ湧き立たすものがあります。

山宰領が出発の指示を出しても、曳き手がこの唄を唄いながら山車を練り続け、なかなか出発してくれないことがあります。2~3回目でようやっと動き始めるのが普通です。

歌い手は曳き手の華といえます。観客にアピールするために工夫を凝らした文句で唄われます。

  目出度きものは
    ものは 芋のつる
  葉には千夜(せんよ)の
    千夜の 露を受け
  根には千余の
    千余の 子を連れて
  万の蔵よりゃ
    蔵よりゃ 子は宝

  目出度きものは
    ものは 破れた蚊帳じゃ
  つる(吊る/鶴)かと思えば
    思えば 亀が出た

また、流行歌や「もしもしカメよ」などの童謡も唄われていました。

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